お久しゅうございます(^_^;

最近はなかなかPCを触る機会が少なくなりまして(笑


今週は総集編ちゅう形でまとめさせてもらいますわ(^^)/



つっても軽く愚痴っぽくなりますが↓




えっと〜、この日記長く読んでいただいてる方ならわかると思いますが、私時たま感傷的になる時期がございます。






些細なことであったり、深く傷ついたことであったりと、原因は様々です。



今回はどちらかというと些細なこと。



まぁ、興味のない方はこっから先は見ない、もしくは違うページにでも移ってやっぱりみないでください。

基本的自己満悦な文章なので。















最近、時間の流れがものすごく早く感じます。


たとえば、学校のある普通の平日。

いつもと同じ授業があって、いつもと同じようなメンバーで話し、いつもと同じように食べて、いつもと同じように帰る。

その普遍的な日常は客観的に見れば平和そのもの、もしかすればうらやましい人もいるかもしれない。

しかし、私からすれば単調そのもので退屈であり、何ものにも意欲というものが生まれない最悪の循環である。

特にここ最近思うのは、授業の虚しさである。

まじめに聞いていたとしても、それがたとえ居眠りをしていたにしろ、どうしても後世の役に立たない気がするのである。

単に、勉強自体が使わないから役に立たないというわけでなく、果てしない虚無感を感じるのである。

どうもうまくは表現できないが・・・なんとなく虚しさというか、なんというかを毎時間感じている。


私にとって勉強の最終目標となるのは、やはりなんといっても「大学現役合格」である。

おそらく高校生の殆どはその目標を持って勉学に励んでいることだろう。

そのなかで私はとうとう楽な道、即ち手が今にも届きそうな大学を選択してしまった。

今更変更などはできないし、ましてやあきらめることはできない。

色々と友人からの指摘や非難は受けたが、やっぱり変更する勇気が起きない。

無論、今後のやる気と努力しだいでは推薦された大学に通ることだろう。

まぁ、憶測ではあるが。

しかし高校受験で失敗した過去がどうしても振り払えない。

落ちたくはないがやる気がどうあってもおきない。

自分の中ではとっくに気づいているのに、どうやってもそれだけに目が向けれないのだ。

その原因もはっきりしている。

このページをプライベートな人達にも教えているので書けないが、ある重大な悩みを今抱えている。

恐らく周囲の人なら一発でわかることだろう。

そこはあえて聞かないで欲しい。

もう2年ほど悩んできた事実に今更傷口などはなかいだろうが、やはりこれを面と向かって言われるのは苦痛でしかない。

自分に足りないものなら今までいやというほど実感してきた。

それは生まれてきた星の違いであって、世間一般で言う「個性」に値するものだと思う。

それは理解できる。

寧ろできないと困る。

しかし、あからさまな欠点に対して人間、一度は悩む。

いや、一生かかって悩むのかもしれない。

それにどう対応するかは個人の性分の問題である。

まぁ、大雑把に分けて「消極的」と「楽観的」の二つだろう。

前者ならばあるものに対して悩み抜くであろう。

後者ならば笑ってやり過ごすかもしれない。

しかし両方に共通して付きまとうのは人間と人間の繋がり。

即ち対人関係である。

それは第一印象から始まり、その人自身の色を見るもしくは感じ取って思う感想、声や態度からみる社会的視点、その人と対象となる人との性格の相性などによって左右される掴みどころのない道である。

これほどまでに難しい問題はないはずである。

たった一言で狂うときもあれば、何もなくともつながりあうこともある。

こんなものでも生まれの星に左右される。

しかし今回は「個性」ではなく「生まれ持った運命」と呼ぶのがふさわしいであろう。

よく思い返して欲しい。

自分が今までの人生の中でのボジションはほぼ変動はないはずである。

変化点があれとすれば、事故の中での大きな事件のあとであろう。

その中で我々は生きている。

その結末は必ず、終わりという形でやってくる

今なら大体7.80くらいだろうか。

その間一個人として生まれ終わりを迎える。

世界人口の65億1291万7359人の人がその役割をそれぞれの舞台で演じきり、それぞれで千秋楽を迎える。

その中の一人である。

そんなちっぽけな存在がどのように自らの足跡を残せるだろうか。

歴史的にすごい人になればよい。

教科書にのればいいじゃないかなんて意見はどうでもいい。

そんな安易な意見は聞きたくもない。

ただ俺は誰かの記憶の中に留まりたいだけである。

それはその固体に忘れられることなく。

その記憶はぼやける事すらもなく。

その固体と共に終点を迎える。

こんな贅沢なことがあるんだろうか。

私の周りではまだそれが起きることはなさそうである。



まぁ、ここまでいっとって何だが、実は最初に言わんとしたことからだいぶ遠ざかった(笑

とにかく俺が言いたいのは、現実がシビアだってこと。

理想もしくは想像と現実もシビアだってことです。

期待と失望は隣り合わせです。



                        −以上。